納豆をめぐる起源の謎、いつ誕生したのか

納豆といえば、糸引き納豆が一般的だ。味噌汁に具として使う「納豆汁」や油で揚げた「揚げ納豆」、巻き寿司に使う「納豆巻き」、長期保存できる「干し納豆」など様々な料理で用いられる。見た目と実際に食べた時の好感度に差がでる食材の一つであると言える。もちろん、苦手な人も沢山おられることと思うが、気づかぬうちに食べられるようになった人もいるのではないだろうか。ピーマンやニンジンなどもよく嫌われるが、納豆ほど両極端に好かれたり嫌われたりする食材も珍しい。

納豆のルーツを辿って

納豆の起源だが、もともとは偶然生まれたものと考えられる。たまたま食した人がその美味しさに気づき、徐々に伝播していったのだろう。この納豆という言葉が日本で最初に見られる文献では藤原明衝の「新猿楽記」が知られている。ここから推察するに、平安時代には既に存在していたと考えられる。しかし、中国では紀元前二世紀頃と思われる遺跡から塩辛納豆が出土しており、当時は麹菌で醗酵熟成させてものが「納豆」と呼ばれていたようである。即ち味噌や醤に類似する風味を持った調味料の一つであったのだろう。現在、一般に食べられているのは糸引き納豆である。起源は偶然の産物と考えられるが、これが日本で普及したのは室町時代頃だそうだ。当時は日本でしか見られなかったようである。しかし納豆菌の繁殖に最適な環境は、既に藁を敷き詰める形式の住居が普及していた弥生時代にあったようだ。とはいえ、納豆の起源がそこまで遡るのかどうかは良く分かっていない。

その他の諸説

ところで、納豆の起源については他にも色々諸説が存在する。例えば、中国(唐)の鑑真(がんじん)だ。唐へ渡った美濃国出身の日本の僧である榮叡(ようえい)に、日本で戒律を伝えるよう懇請され、渡海を試みるも何度か失敗。その過程において疲労などによる身体の酷使から失明に至る。それでもその後753年12月26日、福岡県の観世音寺で授戒を実施し、翌年1月に平城京へ入る。中国では紀元前二世紀頃から塩辛納豆が存在したこともあって、この鑑真がこの時、日本へ納豆製法を広めたとする説があるが、定かではない。室町時代頃になると調味料としての塩辛納豆は影を潜め、味噌が広く普及することになる。糸引き納豆が普及すると共に寺納豆も盛んに作られるようになるが、これは中国へ渡った日本の僧が再び持ち帰ったのであろう。大徳寺納豆(だいとくじなっとう)は、寺納豆の一つであり、室町時代の僧である、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が伝えたとされる。また国内では平安時代後期の武将である源義家(みなもとよしいえ)が、戦で藁に煮豆を入れて携帯していたら、糸を引いた豆が出来上がって、それをたまたま食べたら美味しかったので、以後広まったとする説がある。いずれにしても明確な根拠は無く、後世の人々が歴史に名を残した人に関連付けたものであろうと思われる。